2016年5月30日月曜日

しつけ…というか、恐怖によるいきすぎた支配の代償


しつけで我が子を置き去りにしたという、北海道のニュースに、たまらない思いをしています。



「身」が「美しい」と書いて、「しつけ」。

思えば、この漢字を手書きで書いたことが、一度もありません。

どうしてだか、あまり好きになれない漢字なので、このことばを使うときは、「しつけ」と、ひらがなで書きます。

ひらがなて書いても、とうにも好きになれないことばです。


たぶん、「しつけ」に関連して、個人的にあまりいい思い出がないからでしょう。(´・ω・`)



幼い男の子が北海道の山中で行方不明になったというニュースで、心を痛めていたのですが、今日になって、「しつけ」のために、親が我が子を置き去りにしたのだという話が出ていました。


公園で人や車に石
父「しつけのため、怖い思いさせようと」
日没まで捜索も見つからず 北海道・七飯町……産経ニュース
http://www.sankei.com/affairs/news/160529/afr1605290026-n1.html

もう、二日も見つからない状況のようです。

なんとか無事で見つかって、よい人生を送れるようになってほしいです。


でも、これでまた「しつけ」という言葉が、いっそう嫌いになりました。



恐怖を利用して、社会で好ましい行動がとれるように教えようとすることは、「しつけ」ではよく行われる手法なのだろうと思います。


たいていの親御さんは、子どもの人生をよりよいものにするために、「しつけ」をするわけですから、恐怖で子どもを損なってしまわないように、壊してしまうことのないように、うまく加減するのだと思います。


でも、ときどき、その加減の感覚が壊れていたり、そもそも子どものための「しつけ」をするつもりのない親御さんが、いるのでしょう。


クマが出るかもしれない山に、七歳の我が子を置き去りにできる感覚というのは、まともではありません。


恐怖による、行きすぎた支配による、最も大きな代償は、子どもの命が失われることでしょう。
そこまでいかなくても、かけがえのない子どもとの間の信頼関係を損ない、子どもが社会で他人と対等な信頼関係を結んでいく可能性をも、阻むことになるかもしれません。


親や教師のモラルハラスメントや体罰で、子どもが亡くなったり、自殺してしまうような事件があるたびに、加害者側から、「しつけだった」ということばが出るのを耳にします。


その「しつけ」の感覚は、壊れているのだと、社会全体で認識し、指摘し、風通しのよい場で評価づけを繰り返していく必要を、強く感じます。











「娘を虐待していた母親に「躾(しつけ)の意味」を教えた若者が素晴らしい!」…という記事を、見つけました。この事件に関連した記事として、検索で表示されたものです。



真夏に長袖長ズボンを着せられ、威圧するハハオヤに対してひどくおびえる幼児の様子をみて、即座に体罰のあることを見抜き、ハハオヤの欺瞞を暴いてみせた若者のお話です。あまりにも鮮やかで、胸のすくお話になっているので、都市伝説的に生み出された物語であるのかな、という印象もあります。


もしもそうだとしたら、このような物語が、世の中から切実に求められる時代なのだということなのでしょう。そのことに、心が痛みます。







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