2016年5月12日木曜日

十年前の日記はなんだか固かった


ずっと前に書いていたYahooブログを、昨晩、再発見しました。

最後の更新は、2005/10/18(火)。十年以上も前になります。

十年たって今、頭の中身がたいして変わったようにも思いませんが、以前書いていたことは、なんだか固くて、とがってるように感じます。書いた記憶がほとんどない文章も多いです。

おもしろいので、ちょっと引用。



「片づけられない人」

2005/9/11(日) 午前 7:58


 自分がどうやら注意欠陥障害というものであるらしいと分かったのは、三十代の終わりのころである。

 自閉症の息子のために脳障害に関する知識をかき集めているうちに、この障害の情報に行き当たり、主症状といわれているものの大半が自分に当てはまるので、「ははあ、なるほど」と思ったのだ。

 どうもちょっと変な人間であるという自覚は、子供のころからあった。他人がラクラクとできるようなことが、なかなかできない。その筆頭は整理整頓で、私の周囲は常に無秩序と混沌の世界であった。忘れ物をしないこと、人の話をきちんと聞き取って記憶すること、道に迷わないことなども、私には難しかった。

 学校の成績はいつも上位だったけれど、私のことをよく知らない先生には、落ちこぼれの馬鹿者であると思われていた。高校の文系クラスを主席で卒業したとき、いつも私をアホ扱いすることで授業で笑いを取っていた物理と数学の先生が、謝りに来た。「君、ほんとは、バカじゃなかったんだねえ」。そんなこと今さら言われてもと思ったけれど、「ほんとはバカじゃない」かどうかについては、自分でも確証が持てなかった。

 十代の頃には、障害であるという認識はなかったけれど、こういう性分では普通の会社勤めなどは不可能だろうということは薄々感じていたので、将来的には何らかの専門職を目指そうと考えていた。雑多な事務をこなすことはできなかったが、自分の興味のあることであれば、寝食を忘れて集中することができたからである。それで、「地方公務員の試験でも受けて地元の役所に無難に就職してほしい」という親の希望をすげなく却下して、大学院に進学することにした。研究者であれば私でもやっていくことができると思ったからである。

 が、進学するためには、ある程度はお勉強の成績がよくなくてはならない。大学では、自分でカリキュラムを管理し、単位を取らなければならないが、身辺整理の困難な私には、それは至難の業だった。取らなければいけない授業に出られず、試験のためにノートを準備することもできず(しょっちゅう無くした)、教室の場所が分からなくて迷い歩くなど、散々な苦労をした結果、もらった成績表は惨憺たるものであった。宿題の多い語学の授業などでは、高校時代同様、吊るし上げとからかいの対象になり、時には教室から追い出された。頭が悪いうえに不真面目な学生だと教師に思われていたからだが、客観的に考えて、無理もなかったと思う。それでも、専門分野であれば、持てる力を発揮できるのではないかという思いは消えず、結局五年かかって何とか大学を卒業し、大学院を受験して、なんとか学籍を得ることができた。

 進学後、注意欠陥障害らしい苦難の道は続いた。単位履修の届けをするのを完全に忘れてほったらかし、大学の事務局で罵詈雑言を浴びまくったこともある。

「あんたの先生に、言いつけるからねっ」

 とても成人した人間が言われるような言葉ではない。先生にも、あまりにも成績が悪すぎることで、何度か叱られた。
 
「君の成績は、マイナス八十点。日本人の学生では最低記録です」

 何事においても要領の悪い私は、いつも試験の準備が間に合わなかったのである。
 大学に九年在籍して、「優」の成績をもらったのは、自分の専門分野でレポートを出すことのできる授業だけだった。あとは、可可可可可、不可不可不可・・・である。

 この、注意欠陥障害という脳障害で一番の問題になるのは、生活上の失敗を無数に経験することで引き起こされる、自己評価の下落であるという。自分は何の能力もない、駄目な人間であると思いこむことで、社会生活を営む勇気を失い、深刻な鬱状態になる人も少なからずいるのだという。幸いなことに、私は「他がどんなにダメでも、専門分野ならイケる」という思いこみがあったため、そういう二次的な陥穽には、はまらずに済んだ。

 その後、年齢を重ねるうちに、少しづつ、世の中と折り合いをつけてうまく暮らす方法を、多少なりとも身につけていった。片付けは、あいかわらず大変苦手だけれど、一度に取り扱う範囲をごく狭く、たとえば三十センチ四方ほどに限定することで、それなりに対処することもできるようになった。三十センチ四方なら、私の乏しい集中力や空間把握能力でも、なんとか処理できるのである。それを何度か繰り返せば、それなりに、部屋は片付く。これは私が自分で編み出した方法だが、インターネットで注意欠陥障害の人のサイトを見ると、同じようなやり方が紹介されていたので、うれしくなった。

 あとは、できればこの障害について、もう少し世間の理解が広がってくれればいいな、ということを思う。片付けられないことや、学校教育に適応できないことを理由に、即座に人としての価値を測らないでもらいたい。どんな人間にだって、生かすことのできるとりえは、たぶんあるのだから。
 
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 高校や大学のころのエピソードは、最近では、ほとんど思い出すこともありませんでした。
こうして書いておいていなければ、たぶんすっかり忘れていたことでしょう。楽しい思い出ではないので、そのほうが平和だったかもしれません。(´・ω・`)

 十年たったいま、成人のADHD、ADDについての理解はずいぶん広まってきたと思います。自分の抱える問題に気づいて、医療に相談したり、投薬治療を受ける大人の方も増えてきました。

 私自身は、もうこのまま、診断も治療もなしで人生ラストまで行くつもりでいます。

 十年前と同様、家はなかなか片付きませんし、予定も準備も忘れまくり、いろんな人に迷惑をかけてしまうこともありますが、周囲の理解と、PCや携帯端末による補助などもあって、なんとかかんとか、暮らしていけるからです。


でも……お薬飲んで、別人のようにすばらしい私が出現したらと、ちょっと思わないこともありません。いつか好奇心に負けて、お医者さんをたずねる日が来るかもしれませんが……腰が重いことにかけては自信がありますので、まあ、ないでしょう(^^;。





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