2017年1月3日火曜日

七年目にして「岡野昭仁」が誰だったかを知ったという、存在意義の薄い日記とそれについての考察


毎日書こうと思ったとたんに、昨日一日書きませんでした。

昨日の分も、だらだらと書いてやろうではありませんか。


2009年08月25日


上の絵のお題は「岡野昭仁」だったようですが、知らなかったので、このようになったようです。


描いてから七年近く経っていますが、いまだに「岡野昭仁」が誰であるのか知りません。


調べます。



Wikiの記事 から引用。


岡野 昭仁(おかの あきひと、1974年10月15日 - )は、日本のミュージシャン、ヴォーカリスト。ポルノグラフィティのヴォーカリストとして活動中。




なんだ。ポルノグラフティなら、かろうじて知ってた。
そう言ってくれればいいのに(宛先不明の苦情)。


曲・・・・好きな曲、少しあったはず。名前出てこない。

(↑加齢による健忘症)


google検索の窓に、「岡野昭仁」と入力すると、次のような検索候補が出てきました。





















「岡野昭仁」については、妻子と容姿、歌声とTwitterの情報が求められているようです。


面妖です。

イケメンかどうかって、テレビや写真みたら、分かりそうですし、歌唱力や声についても、ネットで検索するより、実際に曲を聴いたほうが早いような。妻子情報については、それを知ってどうするのか、私には理解不能。


あ、1つ疑問が氷解しました。

「岡野昭仁,イケメン」で画像検索すると、ご本人の、比較的うるわしい画像が、効率よく採取できるんですね。ファンの方にとっては、重宝する検索ワードであることでしょう。




さて。


■モノを知らない人間がモノを知らないということを書くブログに価値はあるか



↑ ほとんどないでしょう。一般的には。

私が岡野昭仁氏が誰で何をする人だったか知らないという情報をここに書いても、それを有益な情報と感じるひとは、まずいないと思います。



こういう個人的な事情や経験をブログに書く無意味さを、いろんな人が、ブログのアクセスアップの心得として書いています。

あからさまに、ネットにそういうものを書くな、という人も、たくさんいますね。とくに、ネットでネームバリューがあるらしき(でも私は知らない)ネットビジネスやアフェリエイトサイトの教導者みたいな方々。嘲笑的なニュアンスを込めて、ブログに個人的、日記的記事を書くべきではないと「教えて」くださる方々もたくさんいるようです。



そういう視点というのは、


「他人の価値」 = 「自分の役に立つかどうか」
「自分の価値」 = 「他人のに立つかどうか」



という価値基準に乗っかったものなのでしょうね。

誰かがつらつらと綴る日常雑録は、大半の人にとっては、


「だから何?」
「それがどうした?」

というたぐいのモノが大半、で、何の役にも立たない。役に立たないから、アクセス数が増えない。だから、書かれても意味がない、という判断です。




何というか。
それはたしかに一理あるというか、アクセス数を増やすことを、ブログ執筆の大きな目的としている方にとっては、無視できない価値観だとは思います。


読む側にとっても、自分にとって役に立たないモノで周囲を埋め尽くされていたら、そりゃ迷惑でしょうし、必要な情報を隠蔽してしまうような物量の不要情報があふれていたなら、消えろと思うのも、しかたがないかもしれません。


でも、アクセス数を増やすことだけが目的でブログを書いていない人も、相当数いると思います。私もそうです。いくつかブログをやっていますが、どれも「たくさんの人に読まれるものではない」と分かっていて、書いていますし、自己満足のために書いているのでもありません。私の場合、書く目的は、別にあります。簡単にいうと、私の書くようなものを「必要」とするであろう、ごく少数の方々のために、書いています。だからアクセスのびません。


それと、ネットにかける迷惑ということに関して言えば、「有益性の低い」可能性の高い記事については、google様が自動的に検索順位を下げてくれるそうですから、そうひっかかることもないですよね。つまり、「役に立たないモノが大量にある」ことについての迷惑度は、いまでは、そんなでもなくなっています。「個人日記なんか書いたら迷惑と批判されるかもしれない」なんてことは、思う必要はなさそうです。


それにしても、



「他人の価値」 = 「自分の役に立つかどうか」
「自分の価値」 = 「他人のに立つかどうか」




って、ものすごく心躍らない価値観です。

個人的なブログのアクセス数が増えないことが(ここのブログがいい証拠です)、そういう価値観の強固な裏付けになっちゃってますから、どうしようもない面もあります。実際、アフェリエイトの方々は、アクセス数増えなければ、仕事にならないわけですから。


でも、人生はアフェリエイトじゃないですし。(´・ω・`)


もうちょっと親切な言い方をするネットの教導者は、こんなふうに言います。


「あなたの個人的な体験や感情を、他の人の役に立つような形になるよう、工夫して書きましょう」


たとえば、上野動物園でデートしたという人は、ブログに、個人的なデートの内容(うれしかったとか、恋人が素敵すぎて幸せだったとか)を詳細に書くだけでなく、上野動物園についての客観的な情報、その場に行った人でないと分からないような、臨場感に満ちたディティールのなかから、他人と共有することで、その他人が利益を得るようなものを拾い上げて、提供しなさいとか、そういうことですね。

売店の商品の値段がどうだったとか。
中の食堂のメニューのどれがおいしくてオススメで、どれがイマイチだったとか。


要するに、奉仕の精神でしょうか。

いや、ちがいますね。
ギブアンドテイクになるんでしょうね、これは。

人の役に立つことで、人に愛される(アクセスが増える)ことを願うのでしょうから。




ネット上の文章に対する、価値判断の基準が、役に立つかどうかということばっかりになる、もしくは、なりつつあることの薄ら寒さについて、どなたかなにか、おっしゃっていないかと思って探しているのですが、なかなか見つかりません。


このごろよく目にする、「自己承認欲求」っていう言葉も合わせて、何かこう、危ういものを感じてしまってなりません。



「他人の価値」 = 「自分の役に立つかどうか」
「自分の価値」 = 「他人のに立つかどうか」


だけが、人の価値を決めると考える人たちは、常に、


「いつか自分も役に立たない人間になるかもしれない」


ことを意識しつづけ、他人と自分の価値を測り続けて生きていくんでしょうか。

なんか、そういう風にも見えないんですけども、どうなんでしょうね。

人を容赦なく切り捨てて見せる人のほうが、世間では目立つからかもしれませんけども、匿名で、あらゆる他人を切り捨ててる人って、自分が切り捨てられるリスクを背負っているようには、全く見えません。怖いことですが、もしかしたら、リアル人生で既に切り捨てられ続けているために、ネット世界ではリバーシブル状態を実現することを、自己実現と感じている人々なのかもしれません。それも怖いですけど。


なんにせよ、自分自身の価値が、常にそういう相対的な状況で、相手次第で決まるのだとしたら、恐ろしいですね。それが不特定多数の、顔も名前も分からない「みんな」によって決められるのだとしたら、とんでもない恐怖であるかもしれません。私なら、そんなものに自分の価値をゆだねることなど、御免被ります。


あなたは、自分の役に立たなくなったものは、もう愛さない。
あなた自身も、役に立たなくなったら愛されない。

人間もブログも、皆消耗品ってことでしょうか。



普遍的な価値とか、大切な思いとかは、もうゴミクズのようにクサいものとして処理される世界なんですかね。そんなものは、そもそも幻想で、存在していたとしても無用の長物だと。


あともう一つ。
無名な人間、一個人が、大半の人の思いもよらない、新しい価値を生み出すことがあるかもしれないという発想が、ないですよね、この考え方の中には。人の役に立つかどうかだけを考えて生み出されたものって、ユニークではない場合が多いでしょうから。


まあ、極めてユニークなものは、最初は世の中に受け入れられないことが多いというのは、歴史的に多くの芸術家の先例があるわけで、そのあたりはしかたがないのかもしれませんけど、逆に、世の中ほんとに進歩ないなあとも思います。自ら価値を生み出す、見いだすことを放棄して、全てを他者にゆだねつづけることの不毛さを、いい加減そろそろなんとかしてもいいじゃないかと。



ネット上でのマーケティングと、個人感情や人生の価値判断を、ごっちゃにするなということかもしれません。そこ、分けて考えないと、いろいろ間違える気がします。


とくに、まだ若くて、今現在孤独な状態の方々、危ないと思います。


ブログにアクセスがないから無価値とか、単純に思い込まないでほしいです。アクセスがないのは、もしかしたらユニークすぎるからかもしれません。アクセスがたくさんあるのは、もしかすると、汎用性の高い、言い換えれば凡庸な便利さゆえかもしれません。


他人による承認(アクセス数)に、安易に頼るのは危ないです。

自分が作りたいもの、なりたいものが何であるのか、見つかるまで描き続けるのは、孤独だししんどいしカッコよくないかもしれませんが、たぶんそういうやり方のほうが、将来的に、自分にとって一番大きいものを残せると思います。











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