2017年1月30日月曜日

ネット広告は私になぜこれを売ろうとするのか


数日前のこと。


他所様のブログだったか、まとめサイトだかを見ていたときに、なんだか嫌な気配を感じて、ふと脇のほうに視線をやったら、こんな広告が出ていました……。




googleの広告って、たしか、見る人の興味に合わせて、表示するんでしたよね……。


ボディショップのシャンプーとかクリームとかは、同じ日に検索してたので、不思議じゃないんです。

バッグ関係も、長女のあねぞうさんがほしがってるのを、ネットショップで眺めていたから、まあ、アリかなと。

食べ物関係も、まあ、ときどき調べますから。



その他が、全くわかりません。( ̄。 ̄;)


なぜにイレズミと、へんな顔面を、私にオススメするのでしょうか。



こんなもの、欲しいと思ったことも、類似品を検索したことも、全くありません。



この日を境に、どうも妙なものをオススメされ続けるようになっています。



↓ このへんなマスク、何なんですかね。

6800円なんて値段ついてるし。一体、誰がどんな目的で買うのか…。










何度でも表示されて、気持ちが悪いので、つい、クリックしてしまいましたよ。(´・ω・`)







リアル 泣く 赤ちゃん フルフェイス 大人用 マスク


・・・・・っていう商品だそうです。Yahooショッピングで売ってました。

価格 6,600円(税込)。。。。


ニーズが、存在するんでしょうかね。(´・ω・`)




商品のキーワードに「ガキ使」とあったので、調べてみたら、どうやら番組中にこれを装着したのが、評判になったらしいとわかりました。












そして、googleさんの広告が、なぜ私にこれを執拗にオススメしつづけるのかは、結局わからないままです。



怖いから、別のにしてほしい(´;ω;`)。





 

2017年1月29日日曜日

【マンガ読んだ日記】東村アキコの「東京タラレバ娘」と「かくかくしかじか」



マンガ、東京タラレバ娘が一巻目、とあるマンガアプリで無料公開されてたので、読んでみました。


(今調べたら、Amazon Kindleでも無料公開されていました)



東村アキコ「東京タラレバ娘」 Kindle版 無料公開中

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どうにもイラっとくる話です。( ̄。 ̄;)


ヒロインを含む三人の女性たちは、それぞれ夢を持って暮らしているし、努力もすごくしているのだと思うのですが、どこかに保身優先の気配のする、都合のいいゴマカシがあって、関わってくる他人に対しても、自分に対しても、誠実に見えないんです。


そんな人、めずらしくもないのでしょうし、人間なんてそんなものかもしれませんけども、そうそう自分に都合のいい他人が、都合のいいタイミングで用意されているはずもなく、そういうことばかり願う心には、誰かの存在や人生を真剣に思う気持ちが育ちようもないわけで、だから相手が見つからないのも、当然な成り行きのように思えてしまいます。


なのに、ちょっと傷つくと、寄り集まって大酒飲んで、傷なめ合って、現実や自分の本心を直視するのを避け続けている様子を見せつけられたら……


そりゃ、居酒屋に居合わせた金髪の青年のように、イラッとくるのも当然かなと。




というわけで、ひたすらイラッとくるだけに、気になって気になって、先が読みたくてしかたがないのですが、2巻目以降は有料なので、イラっとするためにお金はらうのもなんだかなと思って、読まずに我慢しています。


完結したら、読もうかな。

すっきりしたエンディングを迎えることを信じて、待ってみましょうか。


読み足りないので、他に何かないかなと思っていたら、同じ作者の別の作品、「かくかくしかじか」というマンガも、一巻目が期間限定無料になっているのを発見。



東村アキコ 「かくかくしかじか」 Kindle版 期間限定無料

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読んでみたら、ハマッてしまいました。

主人公は、美大を受験する、ヘナチョコで中身のできてない女子高生。


自意識過剰で、自己肯定感や、自分の才能への慢心度は異様なほど高いのに、根性は全くナシ。

世の中を知らないうえに、褒められたことしかないため、すぐにでも漫画家になれる才能と力があると信じ込んでいて、努力して何かを獲得するという発想がありません。

ただ、友人の紹介で、たまたま地元の絵画教室の先生と出会い、そこの鬼のように厳しい先生について、本格的なデッサンの訓練を受けることになります。

全くちやほやせず、ひたすら本気のダメ出しを食らわして、精進させようとする先生に対して、主人公は強く反発しますが、なぜか教室をやめることができません。

次第に力をつけ、腕をあげていく主人公。
とりあえず美大に進もうということになるのですが、推薦枠を貰ったにもかかわらず、見事不合格。

先生の叱咤のもと、一般受験をして、なんとか一校合格。

けれども、地元を離れ、絵画教室からも離れると、精神的支柱を失って、かといって本来の夢だった漫画家への道を直視する勇気もなく、ズルズルと暮らすうちに、何も描けなくなってしまいます。


結局、遊び暮らして大学の四年間を無駄に費やし、就職も決められないまま、地元に帰還。


ダメだなあ。

若いって、ダメなことだなあと、つくづくため息がでるストーリーですが、その痛い過去をものすごく直視して、ダメさをまるごと作品にしている作者の心意気というか、このダメな時代を乗り越えたあとの姿が見たいという思いも出てきて、2巻目以降は、お金払って購入することにしました。


まあ、私自身も、相当にダメな若者でしたから、耳が痛い場面が山ほどあります。(´・ω・`)



続き読んだら、また感想書きます。





2017年1月28日土曜日

大使館の恋ダンス



なんかこれ、楽しいなあって思いながら、見ています。




恋ダンス【アメリカ大使館・領事館バージョン】







トランプ大統領のいろんな発言のせいだかで、世界終末時計 とかいうのが、一気に残り時間を縮めたそうですが、だったら世界中の大使館でダンス踊ってYouTubeに投稿したら、ちょっと時計の針、戻らないだろうかと思ったりします。


世の中、自分だけ損したくない保護主義だとか、無駄と思えば他人の命でも切り捨てるみたいな考え方ばっかり前面に出ていて、共感することをバカにするような話が多くて、げんなりしてきますけど、ダンスはあっという間に人を共感に巻き込んで、楽しい気持ちにしてくれるなあと。


関節痛くなければ、私も踊ってみたいかも。








たいしたことじゃないんですが








「がんばろう」とか思うと、いきなり邪魔が入ることって、ありませんか?


私は、よくあります。

とくに、何か義務やノルマでやらなくちゃいけないことじゃなくて、楽しみのために、ものすごくワクワクしながら、「さあ、やろう!」と思った次の瞬間、電話が鳴ったり、来客があったり、用事が入ったり、急いで出かけなくちゃならくなったりします。


そういうことが何もないと、今度は、やる気を削ぐようなことが、次から次へと起きたりします。


ごくささやかな達成感を得たいがための、ささやかな決意が、ざっくりとえぐられて、くじかれます。




まあ、どうでもいいことなんですけどもね。(´・ω・`)。


世界の平和に何の影響もないですし。

大いなる不幸を呼ぶわけでもないですし。



でもね。


お仕事をせっせと片付けて、「さあ、自分のブログ書こう!」と思ったとたんに、マウス壊れなくてもいいと思いませんか?


それも、二個も。


一回目は、何もしてないのに、マウス本体が壊れました。

富士通のワイヤレスマウスだったんですけど、何をどうやっても、働かなくなりました。


それで、うちの長女のあねぞうさんから、BlueToothのマウスを借りて、設定してもらって、仕事がんばって仕上げて、「さあ、こんどこそ自分のブログ書こう!」って思ったとたん、なんか言うことをだんだん聞かなくなっていって、機能停止。


BlueToothの接続がキレたのかしらと思って、PCの「設定」を見て見たら・・・・


あっと驚いたことに、


BlueToothの設定のボタンが、消滅していましたよ。。。


BlueToothのドライバ自体、どこもありませんですよ。


なのに、デバイス一覧のところには、動いてないマウスがちゃんとあって、しかも繋がってることになっちゃってて、いくら削除しようとしても、消えないんですよ。



あちこちサイト眺めて、解決方法探しましたが、ダメでした。


しかたなく、五百円のUSBマウスを買ってきて、いまそれ使ってます。


そうこうするうちに、今度はワイヤレスキーボードが、おかしくなってきています。


さっき、ブログ記事一つ書いたのですが、書き終わりそうになったところで、キーボードがいきなりだだだだだだーーーっと、勝手にひらがなを入力しはじめたかと思うと、今度は記事全部、勝手にデリートしてしまいました。


記事はWORDでバックアップとりながら書いていたはずなのに、なぜか復旧不能。


なんなんですかね。

呪いですかね。(´;ω;`)



いまはこれ、メモ帳に下書きしています。


このあとブログにコピペして投稿するつもりですけど、はたして何が起きるか・・・・
















↓ なんだろう。貼った覚えがないのに、末尾にトップの絵が二枚重ねてある。。。


まあ、いいけど。(´・ω・`)


ほっとこう。。。 




2017年1月27日金曜日

【ゲーム日記】イケメン戦国


スマホ・iPhoneのゲームアプリ「イケメン戦国」


タイトルを声に出して読むと、かなり恥ずかしい気がしますが、気にしません。(^_^;


なんだかんだで、ずーっと続けてやっています。


乙女(?)向けの恋愛ゲームは、いろいろ手を出してみましたが、他は中途でやめてしまって、いまはこれだけ残っています。






    https://www.youtube.com/watch?v=lqEtshYtLXU





こんな感じの、イケメン戦国武将たちと、現代からいきなりタイムスリップした主人公(若い女性)が出会って、関係を深めていきます。


物語は、かなーり、トンデモな設定のなかで、華々しく繰り広げられます。


主人公は、本能寺の変の当日に信長と出くわして、そのまま彼を助け出してしまいます。

本物の信長は、本能寺の変のときには、五十歳直前のはずですが、ゲームの中では、どうみても三十歳そこそこ。


しかもお話のなかでは独身っぽくて、妻子の気配が全くありません。濃姫どこいった(^_^;?



さらに、先に病死しているはずの上杉謙信、武田信玄も健在。

本当に生きていたとしたら、二人とも、本能寺の変の時点で、五十台から六十台のはずですけど、みんなすっかり若者になっちゃってます。


でもまあ、細かいこと(?)は、いいんです(^_^;。

ファンタジーですから。


主人公は、信長を助け出したあと、徳川家康、伊達政宗、明智光秀、豊臣秀吉、石田三成たちと一緒に、織田家ゆかりの姫君という立場で、安土城で一緒に暮らすことになります。

そして、安土城下で、織田家と敵対する真田幸村や武田信玄、上杉謙信、猿飛佐助、時には本願寺の顕如なんて人たちとも出会ったりして、成り行きで親しくなる場合もあったりします。


さらにこの主人公、姫君でありながら、ちょくちょく戦場に同行させられ・・・・・・結果的に、歴史を猛烈に変えちゃいます。


ここまでくると、ほんとにメチャクチャですが、いいんです。ファンタジーですから(^_^;。



ゲームとしては、出てくる武将の一人を選んで物語を進め、折々に出てくる選択肢を選びながら、関係をを深めていくことになります。


現時点で、信長、家康、正宗、秀吉、幸村、信玄の物語が、メインストーリーとして公開されています。残りの武将は未公開ですが、近日中に、謙信のストーリーが始まるのだとか。



まるっきり史実を無視したストーリーかというと、そうでもなくて、史実の人間関係を若干反映したようなエピソードが、ときどき混じっていたりします。

たとえば家康が、人の話をさっぱり理解しない三成の無神経さにイライラしたり(でも、たぶんこの世界では、関ヶ原の戦いは勃発しないのだと思います)。


ことあるごとに、秀吉が光秀の謀反を疑って、食ってかかったり。(そういえば、本能寺の変の首謀者は、光秀ではないということになってました)




そういえば、真田幸村は、恋愛ベタな性格を武田信玄に心配されていましたが、主人公と結ばれない場合、結婚運や家庭運にめぐまれず、悲惨な晩年を送るというような話が、ちらっと出てきていました。ちょうどNHKの大河ドラマ「真田丸」で、幸村の底知れない女難ぶりを見ていた時期に、ゲームで幸村のストーリーを攻略してたので、よけいに哀れに思いました。



まあ、そんな小ネタを楽しみつつ、気分転換のためにプレイしています。




世の中も、歴史の中も、大半が荒んだ話ばっかりですから、報道などで伝わってくる「現実」ばっかり直視してると、だんだんと、私のようなトシの人間でも、やっぱり気持ちがしんどくなります。


どこまでいっても、絶望と失望と終焉しかないんだったら、毎日毎日繰り返している、この日常の営みって、何なんだろうなって、中二くらいのころだったら、きっと考えただろうなと思います。


真田幸村だって、ものすごく頑張った末に、徳川家康にやられて人生終わりますしね。(´・ω・`)


だけど大河ドラマの「真田丸」の幸村は、なんだか幸せそうに微笑みながら人生を回想して、歴史からも番組からも消えていきました。ほんとに幸せに包まれながら死んでいったかどうかは、誰にも確かめようがありません。だから、あれは創作です。


でも、なんかリアリティがありました。

完全な絶望状態で、死ぬしかなくて、でもああいう、微笑みながら死ぬという人生も、あるんじゃないかなという手触りがありました。


たとえフィクションであっても、人がしんどいリアルの人生を直視するときに、冷え込む心にすこしだけ暖かみを運んでくれる、遠赤外線的なものになり得るものがあると思うのです。


リアルを助けるのが、必ずしもリアルであるとは限らない。

気の持ちようでなんとかなることもあると、昔から人間は知っています。


フィクションばんざい。ヾ(〃^∇^)ノ



というわけで、リアルにつぶし合って滅びていった戦国武将たちが、年齢容姿完全改造された上で、幸せめがけて邁進しつつ戦国を放棄するゲームを眺めるのも、悪くないと思うのでした。





 うわ、ファンブックなんて、出てたんだ。










↓ CDが出てたのは知ってたけども、歌もあるんですよね。聞くと変な汗出そう・・・





2017年1月26日木曜日

温州みかんの香りのするハンドクリーム


イギリスでは、温州みかんのことを「薩摩」というのだと、昨日はじめて知りました。


なんで知ったかというと、こういうイギリス製ハンドクリームについて、調べたからです。



ハンドクリームサツマ


なぜに「サツマ」?

って、思いますよね。(^_^;


こういう理由だそうです。


イギリスではミカンのことを「サツマ」という!?その驚きの語源とは!?
https://togetter.com/li/857739



簡単にまとめると・・・

幕末の生麦事件が引き金になって、イギリスと薩摩藩が戦争になったけれども、のちに和解して友好的な関係になり、薩摩藩はイギリスに、みかんの苗を贈った。

そのため、イギリスではみかんを「Satsuma(サツマ)」と呼ぶようになった、とのこと。


というわけで、上のハンドクリーム「サツマ」(THE BODY SHOP)は、みかんの香りがするそうです。

Twitterで検索したら、このハンドクリームの香りが大好きという人を、何人も見かけました。



私もみかん大好きなので、ちょっと、こころ引かれてます。(゚▽゚*)








でも私の手は、自家製ぬか床の、あまずっぱい香りに包まれていることが、多いです。(^_^;。






過去日記「ぬか床ラブ」

https://medanadakki.blogspot.jp/2016/07/blog-post_12.html

過去日記「ぬか漬け日記…波乱の幕開け」
https://medanadakki.blogspot.jp/2016/06/blog-post_20.html





2017年1月25日水曜日

炊飯器…バルミューダのが、よさそうだけど…



やる気のない炊飯器の絵(うちの長女・あねぞうさん画)


炊飯器が、そろそろ寿命かもしれないなーという時期が来ています。


買い換えるなら、おいしくご飯が炊けるのがいいなあと思って、ちょこっと情報集め中。


そしたら、昨日買った通販生活で、バルミューダというメーカーの、ものすごく「お釜」感あふれる形の炊飯器が紹介されていました。


これです。



Amazonで見る


ザ・お釜! な感じですね。






そういえば、しばらく前に、バルミューダのトースターで焼いたパンがとっても美味しいという話を聴いていたのを、思い出しました。


聞いたとき、即座に、バミューダトライアングルを連想したことも、ついでに思い出しました(^_^;。



↓通販生活の記事を読むと、かなりおいしく炊けそうな感じですが…

https://www.cataloghouse.co.jp/housework/cooking_appliance/1105604.html



三合炊きなんですよね、これ。(´・ω・`)


うち、食べ盛りのコドモ三人いるので、三合じゃ、足りないこともあります。

おかずによっては、暴動おきます。


翌日の冷凍用のごはんをまとめて炊くこともあるので、やっぱり五合はほしいところ。


でも、こんな家庭、いまはめずらしいんでしょうね。三合で足りるおうちが、きっとほとんどなんだろうな…。












2017年1月24日火曜日

通販生活と、アレッポの石鹸にびっくりしたこと



今日、スーパーで買い物してて、雑誌コーナーの前を通ったのでチラ見してたら、「通販生活」があったんですが、



はあ・・・・・?


通販生活、まさかのトランプ大統領押しなの??











・・・・って、あっさりだまされた、素直なオバ(カ)さんが、ここにいます。




カードマジックで、認知症を防ぎたいっていう記事でした。


この雑誌、商品動画のサイトも用意してるんですね。↓


週刊 通販生活 










興味を引かれたのは、こちらの記事。


https://www.cataloghouse.co.jp/beauty/body_care/1105601.html?sid=by_detail_guide_201307_1105601

シリアのアレッポで生産されていた石鹸を、日本に輸入販売している会社があるそうです。

現在は、シリア国内の疎開先で生産が続けられていて、現地の人々の生活を支え、輸入も続いているのだとか。びっくりしました。



気になって調べてみますと、Amazonでも、「アレッポの石鹸を取り扱っていました。

Amazonの商品ページ





こちらは、シリア国内産ではなく、トルコに避難した方々が生産しているものだそうです。

商品名から、アレッポという言葉が消えているのは、国際的な批判を避けるためだと、商品ページに書いてありました。



レビュー評価、とても高いです。


これはちょっと、使ってみたい。









2017年1月22日日曜日

更年期とか老眼とかドライアイとか目薬とか(本が読めなくてつらい…)


目の疲れが、ひどいです。

もともと視力が弱くて(両眼とも0.03くらい)、メガネがないと日常生活が不可能になるレベルなのです。

それが去年あたりから、強い痛みが出るようになり、ここのところは目薬が手放せないという状態です。


紙の文庫本は、もう何年間前から、大量には読めなくなりました。つかれて、かすんでしまうのです。

Kindle Fireだと、バックライトがありますし、少々かすんでも、簡単に画面を拡大できますから、不自由をあまり感じずに読めていたのですが、痛みのあるときには、さすがに読めません。


これ以上視力がおちると不味いので、読書、意図的に減らして、目を保護するようになりました。



痛みの原因は、ひどいドライアイではないかと思います。


もともとドライ気味でしたけど、更年期の症状が強くなるとともに、目の状態も一気に悪化ししまたので、連動して起きてる不調だろうなと感じました。


一度眼科に行ったら、「目が傷だらけですよ!」と言われ、あやうく両目に眼帯をされるところでした。

本当は眼科にちゃんと通わなくてはならないのですが、一回いくと3時間待ちなので、億劫で足が遠のき・・・・よくないとは思いつつ、市販の目薬でごまかしています。


目薬は、「サンテ40」を使ってます。個人的には、わりと、いい感じです。


 サンテ40 Amazonで見



でもネットで調べてみると、加齢、老眼用には、ロートVアクティブ がいいとのこと。


 ロートVアクティブ   Amazonで見る




パッケージに「年齢」とでっかく書いてあって、なんというか、わかりやすいです(^_^;。

角膜を活性化して、目のかすみに対処する機能があるのだとか。


かすみも、大きな悩みになってますので、次、これ使ってみようかと思います。




気力が溜まったら病院にも行って、早く痛みを治そうと思います。

読みたい本、いっぱいありますから。。。








ぼーっと思うこと



トランプ大統領の就任騒ぎや、いろんな言動。

韓国の少女像の問題。


新聞やネットを見ていて、目に飛び込んでくる話題の大半が、誰かが誰かを否定拒絶排斥嫌悪非難するものばかり。




なんだろう、この、世の中の、いたるところの相容れなさは。


こういう非難攻撃、バッシングの先には、いったい何があるのだろう。


原因も、行き着く先も、よくわからない。




んで、こういう騒ぎが一段落すると、また障害者差別とか、生活保護バッシングとかに、戻ってくるのだろうなあ…。



なんでもとにかく叩きたい、攻撃して批判して排斥したいという意識の根っこにあるのは、自分の存在、生存を脅かされる危機感だったりするのかなと想像してみる。


それは大変だろうけど、ネットで匿名で叩いて何か変わるものでもないだろうに。。。














2017年1月18日水曜日

文學界なんて絶対買わないよーという日記


ここのところ、忙しくて、ブログの更新を休んでいるのですが、更新していなくても、毎日必ずgoogle経由でアクセスのある記事があります。

これです。


福祉が税金の無駄という考え方

https://medanadakki.blogspot.jp/2016/07/blog-post_30.html


昨年の、相模原の施設の事件のあと、書いた記事でした。

最近知ったのですが、googleで「福祉,税金の無駄」というワードで検索すると、上の記事が二番目に表示されてしまうようです(2017/01/18現在)。それで、こんな辺境のブログに、足を運んでくださる方が毎日いるのだと思います。


読みに来て下さっている方が、どういう気持ちで検索をされているかまでは、わかりません。

もしかしたら、「福祉なんて社会に負担かけるだけで、税金の無駄だろ」という考えの賛同者を探している方々であるのかもしれません。そうだとしたら、うちのブログは大いに期待外れだったことでしょう。お気の毒なことです。


福祉、とくに重度の障害者のための福祉に対する批判の声を、あの相模原の事件以降、いやという程目にしました。


あの、元都知事の石原慎太郎さんまで、相模原事件の犯人の気持ちがわかるといった意味の発言をしていたとか。


石原慎太郎が「やまゆり園事件犯の気持ちがわかる」と暴言
http://lite-ra.com/2016/09/post-2583.html


この暴言は、雑誌「文學界」に掲載されたものだそうです。


 Amazonで見なくても別にいいと思います。はい。




暴言読むためにお金出したくないので、買いませんでしたが、掲載する雑誌も雑誌だなと。炎上商法というやつでしょうか。この号、人気だったようです。

引用の引用になりますが、こんな発言があったそうで。


「昔、僕がドイツに行った時、友人がある中年の医者を紹介してくれた。彼の父親が、ヒトラーのもとで何十万という精神病患者や同性愛者を殺す指揮をとった。それを非常にその男は自負して、『父親はいいことをしたと思います。石原さん、これから向こう二百年の間、ドイツ民族に変質者は出ません』と言った」

引用元 http://lite-ra.com/2016/09/post-2583_2.html


でも。


「石原裕次郎 同性愛」というワードでgoogle検索をすると、記事、いっぱい出てくるんですよね。

石原慎太郎さんの弟さんの真実がどうであるかはわかりませんし、正直興味もありませんが、身内にこれだけの話がある人が、生存権すら否定したい勢いの強烈なホモフォビアであるという事実に、何らかの因果関係を感じたくなるのは、自然な感情の流れであると思います。

猛烈に否定すればするほど、そのことに強く囚われ、心が縛られていることを示してしまうという、典型例ではないでしょうか。

なぜ、いろいろな人がいるということを、認められないのか。

根拠もないのに、「変質者」などと、社会的悪にまで結びつけて、存在を否定して憚らないのか。



障害者を大量殺戮したあと、さわやかな顔で自撮り写真を残していた相模原の犯人は、普通の感覚では「変質者」そのものでしょうに。個人を社会の構成要素としか見ない「政治家」的な視点ですと、そういうことも、わからなくなってしまうのでしょうか。


なんでそんなに、精神障害や同性愛の否定にこだわるのか、率直に本心を語ってほしいところですが、石原慎太郎さんは御年84歳。都合の悪いことを語って晩節を汚すことは、なさらないのでしょうね。文学者なら、名誉や社会的地位などを捨て去ってでも、心の真実を書き残してほしいところですが、この方は「小説を書く政治家」であって、文学者ではないので、望んでも無理だろう思います。




それにしても、「文學界」。

昔からあまり好きではなくて、買いませんでしたけれども、人を傷つける暴言を吐く人物の対談を企画して、記事として掲載して、売り上げをのばそうとする雑誌だったのだなあと、印象づけられましたので、今後ますます買わないだろうと思います。ネットで無料公開されたら読むかもしれませんけど。Kindle unlimitedとか。でも電子化すら、されていないんですね、この雑誌。遅れてるーと、煽ってみます。
















2017年1月9日月曜日

受験生用カンペン(でも売り切れ)


こんなのが、あったらしい。


Amazonで見る




ベルハウスという会社の製品らしい。


我が家の受験生に贈りたかったけど、Amazonでは、2017/01/09 の時点で、売り切れとの表示。


また出ないかな(^_^;。







2017年1月6日金曜日

一反木綿

2009年08月25日  一反木綿


ずいぶん前にマウスで書いた、一反木綿の絵。


ものすごく、いいかげんに、適当に、書いてます。


「一反」って、大人の着物一着分くらいの布の量なのだそうですが、こんなゆがんだ木綿じゃ、着物作れませんですね。




一時期、行きつけのヴィレッジバンガードに、ゲゲゲ系のグッズがたくさん置いてあったことがありました。


買わなかったんですけど、見るのが楽しくて、よく眺めていました。

いまでも印象に残っているのは、一反木綿のぬいぐるみや、タオル類です。


同じようなの、売っていないかなと思って、Amazonみてみたら、抱き枕がありました。。。



引用元 Amazon



かわいい(?)けど、夜、暗がりで目があったら、悲鳴あげそうです・・・・。











2017年1月5日木曜日

目玉の絵。

MediBangという画像アプリを、iPhoneとPCで使うようになりました。

https://medibangpaint.com/


絵、ヘタクソですけど、ラクガキするのが好きなので、使いやすい無料アプリがあると聞くと、すぐ飛びつきます。









アプリが良くても、描くのはこんな絵ばっかりですけども。。


もともと目玉の絵を貼り付けようと思ってつくった目玉ブログに、ひさびさに目玉の絵を貼りました。





2017年1月4日水曜日

【漫画読んだ日記】さちみ りほ「ショーが終われば… 」【Kindle Unlimited】


さちみ りほ(画), ケイシー・フィールディング (原作)
「ショーが終われば… 」

  (ハーレクインコミックス) Kindle版   ハーレクイン社



Amazonで見る

 Kindle Unlimited: 読み放題対象 (2017/01/04時点) 



ヒロインのホリー・ホリスは、ファッション業界で働いていますが、低身長による容姿コンプレックスが強いため、恋愛を忌避し、仕事に没頭しています。

以前、モデルの男性と付き合ったことがありますが、身勝手なナルシストぶりに辟易して以来、すっかりハンサム嫌悪症になっています。

一方、ヒーローのコリン・ラフファティーは、ホリーとは逆に、生まれ持った自分の美貌を呪いのように感じながら生きてきた男性でした。美しさと家柄がすばらしすぎて、本人の資質や努力を認めてくれる人が、周囲にいなかったのです。

自分の美貌を意に介さず、率直に物をいうホリーに、コリンは短時間で惚れ込んでしまいます。


デザイナー不在でトラブル続きのファッションショーを、機転と力技で切り抜けたホリーは、成り行きでモデルに借り出されたコリンにデートと結婚を申し込まれ、心が揺れますが、容姿面で釣り合いのとれない自分が愛され続ける未来が見えず、拒絶して逃走。

それでも諦めなかったコリンを、周囲も後押しし、ホリーも最後はめでたく結ばれます……という、シンプルで楽しいお話ですが、相当に屈折していたはずのヒロインが、あっさり恋心を認めて、コリンの思いを受け入れてしまうので、ちょっと物足りなさもありました。

原作はどうなのかしらと思ったのですが、まだKindle化されていない様子。読んでみたいのでリクエストしておいたのですが・・・・あれれ?


Amazonで見る




こちら、原作だと思うんですけど、作者名が、ケイシー・マイケルズになっています。

漫画のほうの原作者は、ケイシー・フィールディングになっていますが、検索してみると、ケイシー・マイケルズと表記しているサイトもあります。

何かの事情で名字が変わったのでしょうか。


・・・ま、同一人物らしいのは間違いなさそうなので、これ以上突っ込まないことにします。(^_^;。

それよりも、表紙の男性、漫画のコリンとは、だいぶ印象が違います。モデルたちが嫉妬するような美しさ・・・という設定ですので、もっとこう、吸い込まれるような、人間離れした風貌を思い描いていました。


だって、海外男性モデルを画像検索すると、リアル人間とは思えないレベルで「美しい」人が、びっくりするくらいたくさんいますから・・・。


なにはともあれ、いつか原作が電子本で読めるようになるのを待とうと思います。読み放題だといいなあ。



ハーレクインコミックスの読書記録一覧








読書レビュー 漫画 ハーレクイン

2017年1月3日火曜日

七年目にして「岡野昭仁」が誰だったかを知ったという、存在意義の薄い日記とそれについての考察


毎日書こうと思ったとたんに、昨日一日書きませんでした。

昨日の分も、だらだらと書いてやろうではありませんか。


2009年08月25日


上の絵のお題は「岡野昭仁」だったようですが、知らなかったので、このようになったようです。


描いてから七年近く経っていますが、いまだに「岡野昭仁」が誰であるのか知りません。


調べます。



Wikiの記事 から引用。


岡野 昭仁(おかの あきひと、1974年10月15日 - )は、日本のミュージシャン、ヴォーカリスト。ポルノグラフィティのヴォーカリストとして活動中。




なんだ。ポルノグラフティなら、かろうじて知ってた。
そう言ってくれればいいのに(宛先不明の苦情)。


曲・・・・好きな曲、少しあったはず。名前出てこない。

(↑加齢による健忘症)


google検索の窓に、「岡野昭仁」と入力すると、次のような検索候補が出てきました。





















「岡野昭仁」については、妻子と容姿、歌声とTwitterの情報が求められているようです。


面妖です。

イケメンかどうかって、テレビや写真みたら、分かりそうですし、歌唱力や声についても、ネットで検索するより、実際に曲を聴いたほうが早いような。妻子情報については、それを知ってどうするのか、私には理解不能。


あ、1つ疑問が氷解しました。

「岡野昭仁,イケメン」で画像検索すると、ご本人の、比較的うるわしい画像が、効率よく採取できるんですね。ファンの方にとっては、重宝する検索ワードであることでしょう。




さて。


■モノを知らない人間がモノを知らないということを書くブログに価値はあるか



↑ ほとんどないでしょう。一般的には。

私が岡野昭仁氏が誰で何をする人だったか知らないという情報をここに書いても、それを有益な情報と感じるひとは、まずいないと思います。



こういう個人的な事情や経験をブログに書く無意味さを、いろんな人が、ブログのアクセスアップの心得として書いています。

あからさまに、ネットにそういうものを書くな、という人も、たくさんいますね。とくに、ネットでネームバリューがあるらしき(でも私は知らない)ネットビジネスやアフェリエイトサイトの教導者みたいな方々。嘲笑的なニュアンスを込めて、ブログに個人的、日記的記事を書くべきではないと「教えて」くださる方々もたくさんいるようです。



そういう視点というのは、


「他人の価値」 = 「自分の役に立つかどうか」
「自分の価値」 = 「他人のに立つかどうか」



という価値基準に乗っかったものなのでしょうね。

誰かがつらつらと綴る日常雑録は、大半の人にとっては、


「だから何?」
「それがどうした?」

というたぐいのモノが大半、で、何の役にも立たない。役に立たないから、アクセス数が増えない。だから、書かれても意味がない、という判断です。




何というか。
それはたしかに一理あるというか、アクセス数を増やすことを、ブログ執筆の大きな目的としている方にとっては、無視できない価値観だとは思います。


読む側にとっても、自分にとって役に立たないモノで周囲を埋め尽くされていたら、そりゃ迷惑でしょうし、必要な情報を隠蔽してしまうような物量の不要情報があふれていたなら、消えろと思うのも、しかたがないかもしれません。


でも、アクセス数を増やすことだけが目的でブログを書いていない人も、相当数いると思います。私もそうです。いくつかブログをやっていますが、どれも「たくさんの人に読まれるものではない」と分かっていて、書いていますし、自己満足のために書いているのでもありません。私の場合、書く目的は、別にあります。簡単にいうと、私の書くようなものを「必要」とするであろう、ごく少数の方々のために、書いています。だからアクセスのびません。


それと、ネットにかける迷惑ということに関して言えば、「有益性の低い」可能性の高い記事については、google様が自動的に検索順位を下げてくれるそうですから、そうひっかかることもないですよね。つまり、「役に立たないモノが大量にある」ことについての迷惑度は、いまでは、そんなでもなくなっています。「個人日記なんか書いたら迷惑と批判されるかもしれない」なんてことは、思う必要はなさそうです。


それにしても、



「他人の価値」 = 「自分の役に立つかどうか」
「自分の価値」 = 「他人のに立つかどうか」




って、ものすごく心躍らない価値観です。

個人的なブログのアクセス数が増えないことが(ここのブログがいい証拠です)、そういう価値観の強固な裏付けになっちゃってますから、どうしようもない面もあります。実際、アフェリエイトの方々は、アクセス数増えなければ、仕事にならないわけですから。


でも、人生はアフェリエイトじゃないですし。(´・ω・`)


もうちょっと親切な言い方をするネットの教導者は、こんなふうに言います。


「あなたの個人的な体験や感情を、他の人の役に立つような形になるよう、工夫して書きましょう」


たとえば、上野動物園でデートしたという人は、ブログに、個人的なデートの内容(うれしかったとか、恋人が素敵すぎて幸せだったとか)を詳細に書くだけでなく、上野動物園についての客観的な情報、その場に行った人でないと分からないような、臨場感に満ちたディティールのなかから、他人と共有することで、その他人が利益を得るようなものを拾い上げて、提供しなさいとか、そういうことですね。

売店の商品の値段がどうだったとか。
中の食堂のメニューのどれがおいしくてオススメで、どれがイマイチだったとか。


要するに、奉仕の精神でしょうか。

いや、ちがいますね。
ギブアンドテイクになるんでしょうね、これは。

人の役に立つことで、人に愛される(アクセスが増える)ことを願うのでしょうから。




ネット上の文章に対する、価値判断の基準が、役に立つかどうかということばっかりになる、もしくは、なりつつあることの薄ら寒さについて、どなたかなにか、おっしゃっていないかと思って探しているのですが、なかなか見つかりません。


このごろよく目にする、「自己承認欲求」っていう言葉も合わせて、何かこう、危ういものを感じてしまってなりません。



「他人の価値」 = 「自分の役に立つかどうか」
「自分の価値」 = 「他人のに立つかどうか」


だけが、人の価値を決めると考える人たちは、常に、


「いつか自分も役に立たない人間になるかもしれない」


ことを意識しつづけ、他人と自分の価値を測り続けて生きていくんでしょうか。

なんか、そういう風にも見えないんですけども、どうなんでしょうね。

人を容赦なく切り捨てて見せる人のほうが、世間では目立つからかもしれませんけども、匿名で、あらゆる他人を切り捨ててる人って、自分が切り捨てられるリスクを背負っているようには、全く見えません。怖いことですが、もしかしたら、リアル人生で既に切り捨てられ続けているために、ネット世界ではリバーシブル状態を実現することを、自己実現と感じている人々なのかもしれません。それも怖いですけど。


なんにせよ、自分自身の価値が、常にそういう相対的な状況で、相手次第で決まるのだとしたら、恐ろしいですね。それが不特定多数の、顔も名前も分からない「みんな」によって決められるのだとしたら、とんでもない恐怖であるかもしれません。私なら、そんなものに自分の価値をゆだねることなど、御免被ります。


あなたは、自分の役に立たなくなったものは、もう愛さない。
あなた自身も、役に立たなくなったら愛されない。

人間もブログも、皆消耗品ってことでしょうか。



普遍的な価値とか、大切な思いとかは、もうゴミクズのようにクサいものとして処理される世界なんですかね。そんなものは、そもそも幻想で、存在していたとしても無用の長物だと。


あともう一つ。
無名な人間、一個人が、大半の人の思いもよらない、新しい価値を生み出すことがあるかもしれないという発想が、ないですよね、この考え方の中には。人の役に立つかどうかだけを考えて生み出されたものって、ユニークではない場合が多いでしょうから。


まあ、極めてユニークなものは、最初は世の中に受け入れられないことが多いというのは、歴史的に多くの芸術家の先例があるわけで、そのあたりはしかたがないのかもしれませんけど、逆に、世の中ほんとに進歩ないなあとも思います。自ら価値を生み出す、見いだすことを放棄して、全てを他者にゆだねつづけることの不毛さを、いい加減そろそろなんとかしてもいいじゃないかと。



ネット上でのマーケティングと、個人感情や人生の価値判断を、ごっちゃにするなということかもしれません。そこ、分けて考えないと、いろいろ間違える気がします。


とくに、まだ若くて、今現在孤独な状態の方々、危ないと思います。


ブログにアクセスがないから無価値とか、単純に思い込まないでほしいです。アクセスがないのは、もしかしたらユニークすぎるからかもしれません。アクセスがたくさんあるのは、もしかすると、汎用性の高い、言い換えれば凡庸な便利さゆえかもしれません。


他人による承認(アクセス数)に、安易に頼るのは危ないです。

自分が作りたいもの、なりたいものが何であるのか、見つかるまで描き続けるのは、孤独だししんどいしカッコよくないかもしれませんが、たぶんそういうやり方のほうが、将来的に、自分にとって一番大きいものを残せると思います。











2017年1月1日日曜日

謹賀新年


昔、某記憶スケッチで描いた何か。
2009年08月25日 10:04に描いたらしい。夜空かしら。
こんな謎の画像があと300枚近くある。




あけましておめでとうございます。

とくに明確な目的もなくはじめたブログですが、今年も、「できるだけ、毎日更新」を目標に、続けていこうと思います。


何のために、ということは、とくにありません。
強いていえば、生きる証というか、備忘録というか、「何かやった満足感の足しにしたい」というか・・・そんな感じです。

日本人の平均寿命を考えると、すでに人生の後半に入っちゃってるので、こんな人間もいたんだということを、どっかに残しておきたいような気持ちがあるのかもしれません。

見たり聞いたり行動したりしたことを書いて蓄積して、それが何になるのか、よくわかりませんし、もしかしたら何にもならないかもしれないけど、その「わからなさ」に向かって行動を起こして確認していく作業は、1つの冒険であるかもしれないわけで、もしかしたら、こういう蓄積から、何かおもしろいことや新しいことが生まれてくるかもしれません。


何もしなければ、予想される以上のことは起こりにくいわけですから、何もないかもしれないと思っても、何かしつづけることには、新しい物事を生み出したい行動としては、意味があると思います。


というわけで、今年の抱負を言い換えると、


蓄積という行動を継続する勇気を持ってみる。


さらに言い換えると、ずぼらを克服して、目に見えるような報酬を期待できない行動を完遂する。



ここを読みにきてくださる、希有な皆様に、よいことがたくさんありますように。