2019年4月4日木曜日

目玉絵と読書


今朝の目玉画像











しばらく前に描いたものを一部切り取って、「おはよう」をはりつけてみました。

よく見ると、目とまぶたの関係がだいぶおかしいけど、気にしないでください(^_^;)。




今朝のちょっとだけ読書





三島由起夫「不道徳教育講座」(角川文庫)。









最初のほうにある、「教師を内心バカにすべし」という章から引用。


 理解されようとのぞむのは弱さです。先生たちは教育しようとします。訓示を与えます。知識を与えようとします。理解しようとします。それはそれでいい。ぞれが彼らの職業なのですから。 
 しかし諸君のほうは、理解されようと願ったり、どうせ理解されないとすねたり、反抗したりするのは、いわば弱さのさせる甘えにすぎぬ。「先生なんて、フフン、俺たちを理解なんかできるもんか」と、まず頭から、考えてまちがいない。その上で、「フフン、勉強はしてやるが、理解なんかされてやらないぞ」という気概をもてばよろしい。私の言いたいのはそこです。 
 大人の世界のみじめさ、哀れさ、生活の苦しさ、辛さ、……そういうものを教師たちは、どこかに漂わせています。漂わせていない教師がいたら、よほど金持ちのぼんぼんだと思ってよろしい。先生たちの背広の袖口はたいていすり切れて、白墨の粉に染まっています。「ヘン、貧乏くせえ」と内心バカにすればよろしい。人生と生活を軽蔑しきることができるのは、少年の特権です。 
 先生にあわれみをもつがよろしい。薄給の教師に、あわれみをもつのがよろしい。先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人のなかで、一等手強くない大人なのです。ここをまちがえてはいけない。これから諸君が逢わなければならぬ大人は、最悪の教師の何万倍も手強いのです。 
 そう思ったら、教師をいたわって、内心バカにしつつ、知識だけは十分に吸いとってやるがよろしい。人生上の問題は、子供も大人も、全く同一単位、同一の力で、自分で解決しなければならぬと覚悟なさい。


 三島由起夫「不道徳教育講座」角川文庫 p16



いいこと教えてる。(´・ω・`)











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