イモリの、ヤモリーヌさんです。
自分で縫いました。愛着あります。
お裁縫の素質は、皆無です。
レシピ通り作れません。
指に針さします。
というか、針、折ります。最低です。
でも、ときどき、無性に「何かを作りたく」なってしまって、発作的に、作ります。
以前は、かなりの頻度で発作が起きていました。
なので、正体のよくわからない制作物が、段ボールいくつ分も、たまっております。
一種の、おかんアート炸裂状態と言えましょう。
これ以上増えると、どうしようもないので、最近は、発作は絵と文章だけにしています。
CGなら、いくら数が増えても、体積は増えません。
褒められることはありませんが、書いたり描いたりすると、楽しいので、元気になりますヾ(〃^∇^)ノ。
なんで、人は、ものを「創作しよう」とするのでしょう。
仕事でもないのに。
お金にもならないし、賞賛をうける見込みもないのに。
受験勉強でしか読んだこととがなかった、和辻哲郎の文章に、こんなのがありました。
創作の心理について
(青空文庫から一部引用)
我々は創作者として活 らく時、その創作の心理を観察するだけの余裕を持たない。我々はただ創作衝動を感ずる。内心に萌え出たある形象が漸次醗酵し成長して行くことを感ずる。そうして我々はハッキリつかみ、明確に表現しようと努力する。そこにさまざまの困難があり、困難との戦いがある。しかし創作の心理的経路については、何らの詳しい観察もない。創作の心理は要するに一つの秘密である。
しかし我々は「生きている。」そうしてすべての謎とその解決とは「生きている」ことの内にひそんでいる。我々は生を凝視することによって恐らく知り難い秘密の啓示を恵まれる事もあるだろう。
昨夜私は急用のために茂った松林の間の小径を半ば馳けながら通った。冷たい夜気が烈しく咽を刺激する。一つの坂をおりきった所で、私は息を切らして歩度を緩めた。前にはまたのぼるべきだらだら坂がある。――この時、突然私を捕えて私の心を急用から引き放すものがあった。
私は坂の上に見える深い空をながめた。小径を両側から覆うている松の姿をながめた。何という微妙な光がすべての物を包んでいることだろう。私は急に目覚めた心持ちであたりを見回した。私の斜めうしろには暗い枝の間から五日ばかりの月が幽かにしかし鋭く光っている。私の頭の上にはオライオン星座が、讃歌を唱う天使の群れのようににぎやかに快活にまたたいている。人間を思わせる燈火、物音、その他のものはどこにも見えない。しかしすべてが生きている。静寂の内に充ちわたった愛と力。私は動悸の高まるのを覚えた。私は嬉しさに思わず両手を高くささげた。讃嘆の語が私の口からほとばしり出た。坂の途中までのぼった時には、私はこの喜びを愛する者に分かちたい欲望に強くつかまれていた。――
私は思う、要するにこれが創作の心理ではないのか。生きる事がすなわち表現する事に終わるのではないのか。
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若い頃、和辻哲郎はあまり心になじみませんでしたが、いま改めて読んでみると、こうした言葉は、よく理解できる気がします。
私のヘタクソな裁縫でこしらえたイモリーヌさんを、高名な哲学者の創作に対する思索に照らし合わせて考えるのはどうかしているという気はしますが、あれはあれで、私なりの、命の根源に響くなにかを膿め止めてほとばしった結果の創作活動だったのは確かです。
混乱して、とっちらかった生活のなかに、爬虫類とも両生類ともわからないら、得たいのしれない真っ赤な生き物があらわめて、われわれ家族の暮らす家の壁をじっと守って、あかあかと照らしてくれたら、いいなあと。そんな思いから生まれたのだったと、うっすら記憶しています。
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