朝、四時半に息子に起こされて、いろいろなことを思っているうちに、なんとなく思い出した曲。
亡き王女のためのバヴァーヌ。ラベル作曲。
子どものころから、苦手な曲でした。
この世の中に、大切な人を失ってしまうという、やりきれない、どうしようもない悲しみがあることを、いやでも思い起こされる曲だからです。
世の中に、数多くの戦争があって、戦争のない国や地域でも、事故や病気や、いろいろなことがあって、人の命がむしり取られるように失われていくことを思うとき、いつでも、この曲が思い起こされます。
タイトルの影響かもしれません。
作曲家の思いは知りませんけれども、すでに亡くなってしまった人への深い思いが、曲に込められているような気がします。
でも、いったい、誰への思いであり、鎮魂だったのか……
考えてみると、この曲の由来を知りません。
Wikiを、見てみました。
諸説あるが、ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時にあった、
17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲した、とされる。
「亡き王女」という題名はフランス語でinfante défunteとなり、言葉の韻を踏む遊びから命名された。ラヴェルによるとこの題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている。
なお、パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のことである。
この古風な曲は、歴史上の特定の王女に捧げて作られたものではなく、スペインにおける風習や情緒に対するノスタルジアを表現したものであり、こうした表現はラヴェルによる他の作品(例えば『スペイン狂詩曲』や『ボレロ』)や、あるいはドビュッシーやアルベニスといった同年代の作曲家の作品にも見られる。……(´・ω・`)
特定の王女に捧げられた曲であるとばかり思ってきましたが、違ったようでした。
しかも、葬送の哀歌ではなく、小さな王女が踊ったようなパヴァーヌのイメージとのこと…
でも、この王女、死んでますよね。
生きてる少女が、こんな死相にあふれた曲にふさわしく踊ってしまったら、もうそれはすでに死亡フラグではないかと……。
思い起こせば、私はこの曲を、冨田勲氏の編曲で初めて知ったのではないかと。
富田氏の手にかかると、どんな曲も、深い物語性を帯びるように思います。
この「亡き王女のためのパヴァーヌ」も、永遠に失われたうつくしい命と、それを包み込んでいた幸せ、張り裂けるような死別の痛みが存在していたことを、リアルに感じさせる曲になっていたと……
当時、中学か高校生だった私は、そう思ったのでした。
朝、息子に起こされて、この曲を思い起こしたのは、息子のこと、子どもたちの将来のことなどが、いろいろ心配だからだろうと思います。
心配しても疲れてしまうだけなので、スカッと、気分転換することにします。
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