2016年6月19日日曜日

検索窓に見える闇










googleで「知的障害者」という言葉を入力し、つづいて「支援」と書き入れようとして「し」と入力すると、予測変換に「知的障害者 死ね」と出てきます。


そういうキーワードで検索をする人が、少なからずいるということなのでしょう。


それを検索して、何が知りたいのか。
そこに、どんな思いが隠れているのか。


薄々想像がつくだけに、ひやりと、背筋に冷たいものが走ります。




重度の知的障害者の親として……


犯罪の加害者に知的な問題があったという事件が起きるたびに、やりきれない思いに駆られます。
年金や税金の問題で、福祉の予算がやり玉にあがるたびに、いたたまれない思いがします。


幸か不幸か、ちかごろは、別の案件へのバッシングに世の中の視線が持っていかれていて、そうしたことがあまり取りざたされない時期となっているようです。


都知事だった桝添さんを厳しく糾弾する空気。
不倫したという有名人の方々へのバッシングをあおる報道。


確かに、なんだかなあと呆れるお話ばかりですが……



何かこう、ひとを責める空気の、妙な気圧の高さに、どこか息苦しさを感じてなりません。


責めて正そうとする、というのとも、ちょっと違う気がしています。
責めるというよりも、なにかこう、攻め滅ぼしてスカッとしたい、浄化したい、というような。


元都知事さんや、不倫の芸能人の方々のお話が、薄れてくれば、また別の攻め滅ぼすべき標的が、メディアに露出してくるのでしょうか。



そこに選ばれてしまうのが、社会的に立場の弱いマイノリティでないことを、願うばかりです。











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