2016年4月6日水曜日

六回目

ニュースを見ながら、よく、twitterでつぶやいている。
あそこはニュースのリンクを貼ると、自由に書ける字数が少ない。その不自由が楽しい。


ニュースなどにぶらさがらずに、つぶやいていると、見てくれる人は数十人ほど。
ぶらさがったつぶやきは、数分で1000人以上の目に触れたりする。


目に触れること、イコール「読まれている」のではないと思う。
その記事にぶらさがっている人数を構成する一人(一発言)になるわけだけど、数えられている、というのとも、ちょっと違う。



「いっぱいある」の、「いっぱい」を支える、微力になっているというのが、一番近いだろうか。


私一人がいなくなっても、「いっぱい」であることは、微動だにしない。
でも、百人、千人と減っていけば、次第にそれは「いっぱい」ではなくなる。

「いっぱい」ではない記事は、「無視された」記事である。
トレンドにキーワードがあがることもないから、人の目に触れにくい。



注目されていないけれど、世の中に広がってほしいと思えるような情報があれば、できるだけ取り上げるようにしている。「ほんの数人の見た人」に、自分一人を加えることで、もしかしたら、何かが、ちょっと変わるかもしれない。さして何も起こらないかもしれないけども、思いがけず、よいことが、つながって引き起こされたりするかもしれない。


そんなことを思いながら、日々、つぶやいたり、イイネしたりしている。


誇大妄想?

まかりまちがって実現したら、それは現実。







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