ニュースを見ながら、よく、twitterでつぶやいている。
あそこはニュースのリンクを貼ると、自由に書ける字数が少ない。その不自由が楽しい。
ニュースなどにぶらさがらずに、つぶやいていると、見てくれる人は数十人ほど。
ぶらさがったつぶやきは、数分で1000人以上の目に触れたりする。
目に触れること、イコール「読まれている」のではないと思う。
その記事にぶらさがっている人数を構成する一人(一発言)になるわけだけど、数えられている、というのとも、ちょっと違う。
「いっぱいある」の、「いっぱい」を支える、微力になっているというのが、一番近いだろうか。
私一人がいなくなっても、「いっぱい」であることは、微動だにしない。
でも、百人、千人と減っていけば、次第にそれは「いっぱい」ではなくなる。
「いっぱい」ではない記事は、「無視された」記事である。
トレンドにキーワードがあがることもないから、人の目に触れにくい。
注目されていないけれど、世の中に広がってほしいと思えるような情報があれば、できるだけ取り上げるようにしている。「ほんの数人の見た人」に、自分一人を加えることで、もしかしたら、何かが、ちょっと変わるかもしれない。さして何も起こらないかもしれないけども、思いがけず、よいことが、つながって引き起こされたりするかもしれない。
そんなことを思いながら、日々、つぶやいたり、イイネしたりしている。
誇大妄想?
まかりまちがって実現したら、それは現実。
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