暑いです。
家のなかにいても、ヤバいレベルです。
エアコンが、あまり効果ありません。
しかし外に逃げ出す体力もありません。
ときどき顔をあらったり、水で身体を冷やしたりしながら、PC前に座って、仕事らしきものを片付けたり、いろいろ読み書きしたりしています。
昨日のネットニュースで、
熱中症で600人超搬送 厳しい暑さ、2人重体
なんていう見出しがありました。
とんでもないです。
太陽に殺されます。
人を殺した理由を問われて、「太陽のせいだ」と言ったのは、カミュの「異邦人」の主人公だったと記憶しています。
異邦人は未読。あらすじのみ知っています。
子供のころから、あらすじだけ見て、読書意欲が全くもてないまま、このトシになってしまいました。
いまも、読む気がしません。
物語に相模原の障害者施設での殺戮事件のイメージがかぶさって、どうしようもない気分になりそうだからです。
ウィキの記事をみていて、はじめて知ったのですが、ヴィスコンティが映画化してるんですね。
ルキノ・ヴィスコンティ「異邦人」(吹替え版)
この動画、作品がまるごと見られるようです。
ちらっちらっと、飛ばしながら、主人公ムルソーの言動を追いました。
人の死に無感動な男。
愛する身内が死んでも、自分が誰かを殺しても、なにも痛みを感じない。
こういう人物の犯罪について、世の中が受容しかねて、もてあましつつ、ぶつけ先のない感情だけが空回りする……
このごろ、こういうたぐいの犯罪が増えている気がしていましたが、「異邦人」という作品のあることを思えば、昔から変わらずあったのかもしれないとも思いました。
犯人に対する非難糾弾の言葉や態度が、なんら実効的な意味を成さないのであれば、痛ましい出来事を取り囲み、痛みを感じざるをえない立場のものは、法律や刑罰がこの出来事を処理するのを待つ以外に、一体何をすればいいのか。
こうした犯罪というものは、人が生きていこうとするときに、大きな支えとなるはずの、自然な信頼とか、それを前提とした相互の気持ちのつながりとか、お互いがお互いの存在を最低限尊重するはずだという無条件の前提といった、形のない大切なものを、ずたずたにしてしまう力をもっています。人が死ぬだけでなく、社会のなかの何かが壊れる、そういった犯罪だと思います。
ムルソーを理屈で理解することはできても、心に添うことは、私には不可能です。
わからないまま、世の中に向けた言葉をふやしながら、さがしながら、命について、感情について、心について、生きることについて、考え続ける、そうして、壊されてしまった何かを、静かに修復しつづける……それくらいしか、いまは思いつきません。
「異邦人」、Kindle化されてなかった。
いえ、読みませんけどね……。
0 件のコメント:
コメントを投稿